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うなぎの研究浜名湖は、鰻養殖の発祥の地として有名です。 そして誰もが、鰻には、『天然鰻』と『養殖鰻』があることは知っています。 しかし、鰻は雌の親鰻から卵を取りそれに雄の親鰻の精子をかけ受精させて育てる完全養殖ではなく、 シラスを(稚魚)獲って育てる養殖です。 ですから、今でも日本鰻の親が産卵のため川を下り海に出てからシラスが川に戻って来るまでの、 産卵、誕生、シラスに成るまでの成長の場所、時期、餌などが、完全に解明されていないのです。 西洋アリストテレス(ギリシャの自然科学者、哲学者、現在の生物学の基礎を築いた偉人)は、 鰻は普通の動物のように交尾し産卵するのではなく、泥の中より発生すると言う『自然発生説』を 自分の編纂した動物分類学に提唱。そして鰻の研究を放棄してしまった。
東洋本草和名(1018年版)・・・ |
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鰻の雄雌の発見1777年・・・ |
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ヨーロッパうなぎ(アンギラ・アンギラ)おもに稚魚がフランスから輸入されるから、うなぎ業界では『フランス』と呼ばれている。 |
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ヨーロッパ鰻の産卵場仔魚(レプトケファレス)の発見 |
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アンギラ種等の産卵場発見に一生を賭けた人1904年・・・ヨハネス・シュミット(デンマークの学者)が、海洋船トール号でタラの稚魚の調査中 アイルランドに近いファレス島西部で、75mmの鰻の仔魚レプトケファレスを採集した。 1908~10年・・・シュミット博士は40回にも及ぶ調査を地中海でし、その結果地中海では幼若な仔魚は 全く採集できず、冬期イタリア西方海域で大きく成長したレプトケファレスが多数採集された。 そしてそれより東方行くに従って獲れなくなる。 よって産卵場は大西洋あり、仔魚はジブラルタル海峡を通って地中海に入る。 そう考え、シュミット博士は、地中海産卵説を否定した。 第一次世界大戦の為、鰻の研究を中断。1920~22年・・・ダーナ号で8回の北太平洋を調査。 そして1922年6月14日大西洋産鰻の産卵場を発見。 |
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日本のうなぎの分布世界に生息する鰻は16種、亜種3種の19種。 大西洋に2種、インド洋に4種、太平洋に11種、インド洋と太平洋の両方に分布する2種。 日本には、日本うなぎ(Angill Japonica)と、オオウナギ又は、 カニクイ(Anguill marmorata)とよばれる二種類のうなぎが生息しています。 【主な生息地】・静岡県伊東市浄ヶ池(大正11年天然記念物指定) |
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日本うなぎ(アンギラ ・ジャポニカ)の産卵場シュミット博士は、日本うなぎの産卵場は大西洋と同じような環境の フィリピン沖の海講で産卵すると考え、台湾周辺、東シナ海を調査し、 さらに日本近海の調査も希望したが、軍事的なことで日本側の反対と荒れた 天候の為に実施できなかった。 それでこの海域でレプトケファレスを採集できず、産卵場は発見できなかった。 日本うなぎ産卵場の推定の歴史
東京大学海洋研究所の塚本教授たちが、白鳳丸で数回行った最新の航海調査によれば、 日本うなぎの産卵場は、日本海溝よりずっと南東のマリアナ海溝の海山のひとつと推定。 (東経134°の北赤道海流上で、水深300~500mの辺り)とまで限定されているので、 産卵場の発見は最終段階に入っており時間の問題となっている。 |
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日本うなぎの今後が心配当店では創業以来、日本うなぎ(ジャポニカ種)を使ってお客様に召し上がって いただいていますが、日本の養殖業界のジャポニカ種のシラス(稚魚)不足から、 1968年からヨーロッパからアンギラ種(通称フランス)を大量に輸入、 1971年には10カ国から5~6種を輸入。この鰻が成長し池から逃げだし、 下関市吉見川、大分県大国川、高知県、愛知県の川などで見つかりました。 (今は日本では外国産の鰻養殖は下火に成りました) |
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うなぎの七不思議
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うなぎの成長の旅海流まかせでプカプカ1年の長旅・・・・・ |
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うなぎの遡上と生活うなぎの仔魚シラスは夜、満ち潮に乗って河をのぼり始めると、いかなる障害も乗り越えて、ひたすら前進を続ける。 中国揚子江に遡上したうなぎは、河口から上流四川省まで2,000kmもさかのぼる。 また、アメリカ、ミシシッピー川をのぼったうなぎは、どんどん北上し、 ナイアガラの滝の大瀑布をのぼりつめ、エリー湖にまで行くと言うから驚きというしかない。 うなぎの生活(縄張り)うなぎは湖沼、潟、池などに達すると、自分の生活の維持、保証のために縄張りを作り、 夜間、小魚、エビ、昆虫、カエルなどの餌を求めて活動します。 縄張りは何千キロもの旅をしてきたのに範囲は60~140mと狭い。 その縄張りの広さは、餌の量の多少で決まる。 |
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うなぎのお産の旅うなぎは3~8年の歳月をかけて成熟した親うなぎに成長すると、 体色が蒼黒色、側面は弱い黄金色、腹部は薄紅色の婚姻色に帯びてきて、 9~10月下旬に川から海に下り、遠い南の産卵場への長い旅にでます。 この海に下り始めた親うなぎは、下りうなぎと呼ばれ絶食に入り、決して釣ることはできない (網や梁では採れる)と云われています。 |
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うなぎの語源『古代ムナキ』と言う呼び方から始まって『ムナギ』→『ウナキ』→『ウナギ』と転じた。
また、鵜がうなぎを捕らえて食べようとして、うがなんぎをした→ウナギと言う説 もある。 |
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蒲焼の語源うなぎと言えば、蒲焼きが頭に浮かぶほど日本人にとって馴染み深い料理法であり食べ物です。
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まむし・まぶしの語源
※ 3.の説が現代では一番の有力説に成っている。 |
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うなぎの諺(ことわざ)
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うなぎ料理の歴史鰻は万葉集の選歌、大伴家持が詠んだ歌 「石麻呂に吾もの申す夏痩せに吉しと云ふものぞ武無伎とり召せ」 とあるように、万葉の昔から食べられていた。 そして鰻は強い生命力で海辺から川、湖、沼、山奥の池にもいるから、 各地で食べられていました。 |
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うな丼・まむしの始まり天明(1781~1789)の初めに、上野山下仏店の大和屋で蒲焼を販売していた頃は、 お客の方が飯を持っていった云う。 |
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うなぎは一品勝負うなぎは誠にいさぎよく、正々堂々一品で勝負する。 |
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うなぎにも鱗があるうなぎは皮膚が滑らかでヌルヌルした粘膜で覆われていて、鱗が小さく、 普通の魚のような形に並んでいない為、多くの人たちはうなぎには鱗が無いとおもっています。 |
うなぎ(鰻)専門店有限会社コジマヤ
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